映画「バカ共相手のボランティアさ」ザ・スワンキーズのギタリスト LOODSさんインタビュー

九州パンクの代表的バンドともいえるザ・スワンキーズの初ドキュメンタリー映画が2024年3月より全国で上映決定!2月某日、ギタリストのLOODSさんにインタビュー取材をしました。

ザ・スワンキーズ LOODSさんインタビュー

監督は瀬下黄太(せしもこうた)さん。福岡で「アトリエてらた」を運営されてる方なんですね。

LOODSさん(以下L)はい、そうです。

監督とはもともと知り合いで、映画のオファーを受けたんですか?

L 瀬下さんは、もともと福岡のUK EDISONで働いてる方で、そのころ僕らが入り浸っていたもんで。そのころからかれこれ40年近く知ってますね。

バンドの映画化について、どう思いましたか?

L 映像になるのか?!・・・っていうのがまず一番(笑)

バンドの昔の話が映画にできるのか?ということですか

L うん、それもあるし。当時から一応これ自分らの"戦略"っていうのもあったんですけど、あんまり出さなかったんですね。自分たちの顔とか、映像とか。そういうのもあって。尺になるようなライブ映像とかがあるのか?っていうのがありました。

自分たちでは持ってなかったので、できるのかな?と思ったら意外と集まってきて。

古いバンドの映像とか映画の中で結構出ていますもんね。

L ええ、だから自分が見たことないのも結構ありますね。お客さんがプライベートで撮った映像とかが集められてて。

映画の見どころはどんな所だと思いますか?

L あんまり表に出てこない僕らが、出てるっていうのが見どころかな。

当時はスワンキーズの情報もあまり出てなかったんですか?

L 記事的にはあったけど、あえて同じ写真を出してばらまいたりしてたんで、(いろんな種類の)画像や映像をひんぱんに出すことは、当時なかったんで。

じゃあ映画では貴重な映像がたくさんみれるってことですね。

L まあそうですね。

映画を通してなにか伝えたいことはありますか?

L これといってないんですけど、こんなバンドがいましたよ的な(笑)
決してメジャーの有名なバンドでもないし、こんなのが80年代にありましたよっていう感じですかね。

スワンキーズ オリジナルメンバーでの再結成は?という声も出てきそうですが、そのあたりはどうですか?

L 再結成自体は20年前からもう何度かやってる部分があるので、やることはないと思いますけどね。

当時のリアルタイム世代ではない人からしたら再結成、見てみたいというのはあると思いますね。

L これは持論なんですけど、ロックンロールやパンクなんていうのは若いやつのもんなんで。おっさんがやってもダメですよ(笑)

若いエネルギーが爆発した!みたいな

L そう、ちょっとズッコケたぐらいのほうがいいんですよ、若くて先走るみたいなね。

LOODSさんご自身も、音楽活動などは特にされてないんですか?

L バンドはやってないですね。どっちかっていったらDJとかばっかりやってて。(バンドは)やりたくないことはないんですけど、やはり合うヤツがいないっていう。

LOODSさんにとって、スワンキーズってどういうもの(存在)なのでしょうか?

L う~~ん・・まあ・・おもちゃですかね。(笑)
10代のころの楽しいおもちゃでしたね。

それでは最後に、スワンキーズの映画に興味を持ってくれた方へのメッセージをお願いします。

L へんな話、恥ずかしいから見てほしくないんですけど(笑)
いろんな貴重な映像があるので、もしよかったら細かい部分も見てください。

映画予告動画

映画スケジュール

■福岡先行上映
3月15日(金)〜 kinocinema 天神

■東京
3月22日(金)〜 アップリンク吉祥寺

■神奈川
3月29日(金)〜 kinocinema 横浜みなとみらい

■大阪
3月23日(土)〜 シアターセブン

■京都
3月29日(金)〜 アップリンク京都

■愛知
シネマスコーレ 近日

1月19日(金)よりメイジャーWEBサイトにてオリジナル・ポストカード付き全国共通特別鑑賞券を¥1,500にて販売中。

メイジャーWEBサイト

各劇場の販売開始日時は、劇場へ直接お問い合わせください。

映画概要

パンクなんて辞めてしまえ こうなる…
伝説の九州パンク“The Swanky’s”初のドキュメンタリー映画完成!

バンドの解散によって変わったのは、音楽ではなく時代だった。
1989年1月8日、平成が始まったまさにその日に新宿LOFTで解散ライブを行ったバンドがあった。

その名はThe Swanky’s。昭和が終わり平成となることは時代の節目であるが、それは日本の音楽シーンにとっても大きな転換点となる。

昭和最後の10月にBUCK-TICKが『JUST ONE MORE KISS』をリリース、同じく11月にTHE BLUE HEARTSが『TRAIN-TRAIN』をリリース、ビジュアル系、縦ノリといったジャンルのバンドが次々とヒット曲を放ち、『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称“イカ天”が平成元年2月から放送開始となると空前のバンドブーム到来を決定づける。

過激なパフォーマンスやメッセージ性の強い楽曲のパンクバンドは平成になっても根強い人気を誇っていたものの、ロック系、ポップ系のバンドブームの凄まじい勢いにただ押されるばかりであった。

そんな1月8日における解散は計算づくされたものと思うぐらい見事なタイミングだったと言えるかもしれない。

The Swanky’sが昭和に遺したもの、平成・令和につなげたものとは。

1981年に福岡で結成されたThe Swanky’sは博多をホームグラウンドとしてライブを中心に活動を開始する。初期メンバーはヴォーカルのWATCH、ギターのLOODS、ドラムスのBEERの3人。

1985年~87年までベースのTVが、TV脱退後に89年ベースのRADIOが加入。

83年にバンド名をGai(ガイ)に変更するも85年に再びThe Swanky’sに戻し、同年に初アナログアルバム『THE VERY BEST OF HERO』を発表する。

過激なパフォーマンスに頼ることなく、あくまでも音楽性に徹したアクティブかつエネルギッシュな王道のハードコアパンクバンドはその名を福岡から全国に轟かせた。

ステージ衣装はハードコパンクバンドらしからぬシンプルで、全身レザーやお化粧系がもてはやされた当時ではそれが逆に新鮮さを観る者、聴く者に与え、令和の時代に活躍するファッションデザイナーたちにも多大な影響を与えた。

「メゾン ミハラヤスヒロ」の三原康裕、「GARA」の二唐武史、「BOUNTY HUNTER」のHIKARUなど、自らのクリエイティビティの土台にThe Swanky’sがあると公言してはばからない。

もちろん現在の音楽シーンにおいても「氣志團」の綾小路 翔、「BRAHMAN/OAU」のTOSHI-LOWなどその音楽性に影響を受けたミュージシャンは数多い。

更に、イギリスでThe Wanky’sなるコピーバンドが登場するなど国内のみならず海外においてもその影響力は強い。

「バイきんぐ」の小峠英二、「野性爆弾」のくっきー!、「千原兄弟」の千原せいじなど、お笑いの世界でも影響を与え、昭和後期から現在における日本のカルチャーを支えた目に見えぬインフルエンスそのものと言ってもいい。

The Swanky’sとは一体なんだったのか。

そんなThe Swanky’sが結成から解散、21世紀に入っての再活動、そして現在に至る42年間、メンバーたちは何を思いマイクを握りしめ、楽器を抱えていたのか。

当時の貴重な映像や音源と共に、メンバーたちの、そして彼らの音楽やファッションにコンタクトしたことで衝撃を受けた数多くの著名人たちのインタビューによりThe Swanky‘sというバンドの“コア”に迫り、歴史を紐解くドキュメンタリー映画。

The Swanky’s(WATCH LOODS BEER TV RADIO)
ミハラヤスヒロ(MAISON MIHARA YASUHIRO)
HIKARU(BOUNTY HUNTER)
川原賢治(Kings World Records)
綾小路 翔(氣志團)
小峠英二(バイきんぐ)
くっきー!(野性爆弾)
石橋三喜彦(HEACON LABO)
振付稼業air:man
TOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)
二唐武史(GARA)
OEC(RADIO7)
CHIKARA(CHAOS)
クニタケヒロキ(THE FOREVER YOUNG)





関連リンク

公式サイト:バカ共相手のボランティアさ            
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